知ることは、熱を帯びること
地方の美術館の収蔵作品て、なんだか地味だな。
わたしのこの考えは、美術を、作家を知らない戯言であり、もはや知っていようといまいと、なんて短絡的な思考なのだろうと自分を戒めることになります。
美術館は嫌いじゃない。けれど、機会があればでかけますという程度。圧倒される作品に出会うこともあれば、わけもわからないけれど、芸術作品に触れた満足感にひたるときもある。「行かなければよかった」と思うことは、生半可なわたしには、ほぼありません。思わぬ感情を沸き上がらせてくれてありがとう! おおよそ、そういう気持ちが満ちて帰ってきます。
でも、なんとなく、(地方の)収蔵作品展は地味じゃなかろうかという思いがありました。
覆したのは、先日、冊子「いいやま旅々」の特集記事「里の芸術」の取材で出かけた飯山市美術館でした。
取材テーマは長谷川青澄。自分で調べて自分で設定したテーマではありますが、わたしはまったく存じ上げません。でも、飯山出身といえば長谷川青澄とのこと。自分の無知を恥じつつも、ほとんどの観光客がわたしと同様くらいの感覚ではないのか!? とも。では、この人の作品を、あるいはこの人自身を、どうみるのがベストなのか。それを学芸員さんにうかがおう! となったのです。
結論。
わたしは今、長谷川青澄という人が、大好きです。大好きというと少し語弊がありますが、心から尊敬しています。画人として、夫として、人間として、尊敬するし愛してしまう。もう一枚、あと一枚、さらにもう一枚、青澄の作品をみてみたい、願わくば生で! と思ってしまう。
飯山市美術館の学芸員・井端さんのおかげです。知るということは、熱を帯びること。知らないことを知る喜びを、もっと得たい。年度末という名の暴風雨が通りすぎたら、美術館めぐりにでかけたい。
「いいやま旅々」、記念すべき10号は絶賛編集中。3月末発行の予定です。(緒)