毎日死んでいく


 
11月に入ってから日記をつけています。日記とも言えない、3行ほどのもの。なぜかというと、立て続けに打ち合わせや締め切りをうっかりすっぽかしてしまって、「あれ、大丈夫かな自分(の脳みそ)」という疑心暗鬼がありまして。
 
・予定が決まったらクラウドのカレンダーに「すぐに」書く
・やらなければいけないことはメモアプリのtodoリストに「すぐに」書く
 
このふたつを徹底することに加えて、日記をつけることはじめてみたのです。東京のシェアオフィスで暮らす方が3行ずつくらいの日記を1ヶ月ごとまとめてアップしているブログに出会って、日々を綴るこういうものもありかと思ったのです。
 
はじめてみて気づいたこと。
わたしは毎日死んでいたんだなと。朝生まれて、夜死んでいたんだなと。そのときは鮮烈に思った事柄も、日記に書こうと思ったことも、覚えていない。何日か分まとめて書くせいもありますが、思ったという事実は覚えているのに、なんだっけ? と。あんなに切実に美しいと思ったのに! あんなに切実に思いをはせたのに! あのときの思いはどこにいってしまったんだろう。一度、死んでしまったとしか、思えない。
 
でも、文字に残しておくと、読み返したときにその時々の感情や風景が言葉から立ち上がる。ああ、そう思っていたよね、私。生きている、生きていた。言葉の仕事をしているけれど、言葉のちから、言葉から感じることのすばらしさをこうしてかみしめるなんて。
でも言葉に残すことで、やっぱり脳から消えて行くのはどうなんだろうか。全部なくなるより、いいのかな。
 
しかし、心配なレベルの記憶力の低下。最近忙しすぎるからか? と、遠い目をしてみたりしながら、今年はさぼって人間ドックに行けていないから、かけこみ脳ドックを検索中。
そんなさなか、庭のヒマラヤユキノシタがなぜか、つぼみをつけているのを発見(写真)。ヒマラヤさんも、地球も、大丈夫かな。(緒)