夏至の頃、紫陽花は色づく
夏至を迎えた週末、裏庭の紫陽花が色づきはじめました。そのグラデーションの美しいこと。自然のなせる技。
6月20日で、この家に仕事場を構えて1年。植物のあれこれを観察してきましたが、6、7月はまだ心の余裕がなかったから、あらためてみる新しい風景もまだまだ多いものです。そんな曖昧な記憶ですが、裏庭に咲く紫陽花、去年は鮮やかなブルーだったはず。今年はやわらかな薄紅色。土壌の酸度が減ったということのようですが、あるいはしばらくしたら変わっていくのか…?
引っ越してきたときにはすでに収穫されていたか実がついていなかったと思われる前庭の梅の木には、たわわに梅の実がなりました。どうみても老木なので、ついてもひと粒、ふた粒かと思いきや。あまりにはちきれんばかりに膨らんで、枝という枝がしなりにしなり、栄養がすべて実にいってしまうのではと老木が心配になって完熟を待たずに収穫。ふだんは5kgくらいしか漬けないのに、今年は30kgはくだらないと思われる梅の量。ひとまず追熟させて、さしすを中心に、若干の梅酒と梅シロップをつくろうか…。そして梅の老木、最後の力を振りしぼったなんてことなく、来年も元気に生きてくれますように。
ちょっと前のことになりますが、5月はどんぐりの落葉との戦いでした。この季節に葉が入れ替わるのだということをはじめて知りました。前のおうちの側溝につまりゆく落ち葉に気を揉み、朝に昼にと、事務所にいるときはほうきとちりとりとビニール袋を持って道へ。ひとまずは公道から、落ち着いてから前庭、ようやくすべての落ち葉がきれいになりそうな今日この頃。
そうこうしているうちに緑は梅雨の力を得てとても元気。「雑草という名の草はない」という植物学者の牧野富太郎さんの言葉を思いながらも、「とはいえ、ここに生えてきた君はわたしにとって雑草です」と話しかけながら、目下、私にとっての雑草をむしる日々。
しかし、にっくき雑草!(とりわけどくだみ!)と思うと、日々のデトックスになっていた草むしりがあまり健康的ではないので、生い茂るどくだみについては、雑草であるラインと雑草ではないラインを取り決めました。雑草であるラインは根こそぎむしって、化粧水とどくだみ茶を仕込んでありがたがることに。雑草ではないラインは、そのラインを逸脱しない限り可憐でほかの雑草的草花の進出を安易に許さないありがたい植物として慈しむことに。
とはいえ、まだまだ、植物との付き合い方の模索は続きそうです。(緒)