山伏と行く飯山、小菅の里

「山伏体験をしませんか?」
お仕事でお世話になっている信州いいやま観光局さんから届いた一通のメールにあったその一言。なんだそれ!行きます、行きます、行きたいです!…ただし、ご提案いただいた日は行けませんので別の日ならと、半ば強引に日程を変更していただき、山伏体験は実行に移されました。
 
言葉の響きに完全に魅了されたわけですが、その実、内容がわかりませんで、その場で検索したわけです、「山伏体験」と。意外と出てくるもので、滝行など、なかなかハードな絵面が。いとぐちのふたりは理系ですが、完全なる文化系です。山口はかつて体育会系でならしたこともあったような気がしますが、過去の遺産にもならないほどの今やインドア文化系です。しかしインドア文化系だからこそ惹かれる修験場小菅の未知。かつて取材させていただいたときに、その趣にいつかまたという気持ちがあったことも、もちろん即答の引き金となりました。
取材させていただいた「いいやま旅々vol.4小菅の里」は
こちらから→「いいやま旅々-vol.4」(pdf)
 
というわけで、壮大な興味と若干の不安を抱えながら出かけた飯山市小菅。
そこで待ち受けていたのは、「山伏体験」ではなく、「本物の山伏とともにいく小菅体験」でした。集合場所である小菅の宿泊施設「七星の里」の管理人として出迎えてくださった志田さんが「それでは準備してきます」と言ってから随分かかるなあと思っていたら、どこからか響く鉦の音。現れたのは、山伏の装束を身につけた志田さんでした。
 
「志田さんは、山伏なんですよ」
 
観光局の桒原さんのその言葉の意味を理解するのに、脳がいくらかの時間を要したのは言うまでもありません。志田さんは出羽三山で修行を積まれた山伏で、2年前に小菅に移住されました。もともと小菅神社は山伏らの修験場として知られた場所。この地で、山伏という文化、小菅という文化を真の意味で伝えていきたいという思いで、今、小菅に住みながら活動されています。「真の意味で」というのは、観光のための名物ではなく、人が山を、神を、自ずから崇めるその姿勢の美しさを伝えたいということ。小菅に足をふみいれた方ならわかると思うのですが、文化的景観にも指定されたこの地には、普段のうのうと暮らす私たちですら感じる、凛とした気配があります。30にも及ぶ院坊が並んだ当時から村の形態は農村集落へと変わりましたが、時代の変化なぞなんのその。圧倒的な山の気配、そして人が山を敬う気配がぐんと迫って心を埋め尽くすようです。
 
わたしたちは簡易的な山伏の装束を纏わせていただき、奥社詣でを果たしました。まさに「奥」です、「山」です。文化系の私たちにとってそれなりに息の上がる1時間ほどの山行きのあとに目に映る奥社に、古の人はここに何を感じたのか、ここまで立派なお社をどう建てたのか。会えるのであれば聞いてみたい事柄が次から次へと湧いています。
奥社で志田さんが吹く法螺貝の音とともに風がおこり、続いて地を強く打つ雨が降り始めました。その間、社殿に向き合うわたしたちは背中にその気配を一心に受けて、息をのむとはこういうことかと思いました。そして、志田さんが祝詞と般若心経を唱え終わる頃には空は明るく、雨音はやわらかく変わっていったのです。
 
このときが一番あからさまだったのですが、要所要所で志田さんが法螺貝を吹いてくださるたびに、風の音や向きが変わりました。音色が導く道があるのだろうかと、そのたびに、わたしたちはキョロキョロと、周囲を見渡しました。
 
この道行は生まれ変わりを意味するそうで、参道は産道。帰り道、ようやくまっすぐ鳥居の先の出口の光が見えたとき、あれが生まれ変わる場所だと、喜びに満ちた気がします。赤ちゃんもこんな気持ちなのかな。山ガールと言われて久しいですが、時代は山伏ベイビーですね。

余談ですが、小菅の山伏たちは修行の前後に野沢や山ノ内の温泉で禊をしたり、疲れを癒したりしたそう。それにあやかって今日のお風呂の入浴剤は名湯シリーズから「野沢温泉」を迷わず選ばせていただきました。明日(あるいは明後日)の筋肉痛が最小限でおさまりますように。(緒)
 
(写真は右から志田さん、塚田、山口、坂田。左の3人は無事に産道を経て生まれ変わり、憑き物が落ちた様子ですね。頭に施しているのは法冠・宝冠と呼ばれる山伏ならではの装束)